TOMOKOの幸せtree

私の人生はたくさんの人の支えによって幸せを作ってもらっていると感じています。
その人生を「木」に例えると、家族や友人、言葉やエピソードなどが枝や葉となり
TOMOKOの「木」を育ててくれているのです。
妊活中も大きな支えとなった幸せTree。
このブログを通じて、そんな幸せTreeの大切な枝や葉の紹介もできたらと思い名付けました。

妊活を振り返ってvol. 1

以前からよく、不妊治療をやめたきっかけを聞かれるのだけど、

正直なところ、はっきりとこれ!はい、この瞬間です!というのは難しくて

色々なことがあり、段々とやめる方向にむかって行ったというのが

正しい表現のような気がします。

 

前回のブログにも書いたけど、やめる時のことをきちんと振り返ろうと思うと

やっぱり私の妊活の流れも振り返えった方が良いかなと思うので、数回に分けて書いてみますね。

妊活日記とか体験記ではなく、気持ちの流れが中心なので

必要ないな~という場合は読み飛ばしてくださいましね♡

 

まず、最初は結婚当初の夫婦それぞれの気持ちからです。

27歳で結婚して、私はすぐにでも子どもが欲しいと思っていました。

でも、主人はそうでもなく…と言うか、結婚すらやっとこさした感じなのに

子どもなんて!考えられない!と言うのが正直なところだったと思います。

そう、すでにスタートからズレズレの二人でした。

私は何となく寂しさや虚しさも感じながらも、結婚を機に住み始めた土地での新しい生活に

まずは慣れようという気持ちもあったので、最初の1年くらいは妊活に対する気持ちも

そこまで強くなかったような気がします。

 

そして主人の気持ちも段々と家庭へ、子どもへと向かい始め

なんとな~く妊活へと動き出したものの

さて、どうしたら良いんだ??レベルの知識の無さで

と、とりあえず基礎体温だ!!みたいな手探りスタート。

高温期と低温期があって~、排卵のタイミングがここだから~

ここはチャンスなのね~、ふむふむ。

と、今から10年以上も前で、もちろんスマホじゃなかった私は

パソコンとか本とかで一生懸命調べて、情報を詰め込んでいたと思います。

私の場合、基礎体温は比較的安定していたので、タイミングを合わせることはできていたけど、

なかなか妊娠せず…。

そして、『タイミング法あるある』だと思うけど

ミッションを遂行することのストレス!これがすごい苦痛でした。

私→ 排卵するっぽいことを伝えるストレス

主人→ 飲みに行けない&仕事の疲労を抱えてのストレス

2人とも→ その日に無理やりでもタイミングを合わせないといけないストレス

そういうものじゃないでしょ~って思うけど、

そういうものなのです現実は(涙)

私だけではなく、主人も色々な葛藤と悩みを抱えながらの妊活初期でした。

 

当時はまだ「妊活」という言葉もなかったかも。当然、妊活に関する情報自体少なかったし、

こういう内容を相談できるような相手もあまりおらず

でも周囲からは「子どもは?」「ひ孫は?」みたいな声は聞こえてくるし~。

なんだかなぁって思ってたような気がします。

しばらくして、やっと排卵検査薬の存在を、旦那の同級生からの情報で知るという

なんともスローペースな妊活。

まだまだ心にも体にもゆとりがあった頃のお話です←遠い過去、あの頃は良かった的な(笑)

 

さてさて、次回は最初の妊娠のあたりまで、気持ちの変化と共に綴っていきますね。