TOMOKOの幸せtree

私の人生はたくさんの人の支えによって幸せを作ってもらっていると感じています。
その人生を「木」に例えると、家族や友人、言葉やエピソードなどが枝や葉となり
TOMOKOの「木」を育ててくれているのです。
妊活中も大きな支えとなった幸せTree。
このブログを通じて、そんな幸せTreeの大切な枝や葉の紹介もできたらと思い名付けました。

妊活を振り返ってVol.3

私の妊活を振り返っています。

今回は、流産から気持ちを切りかえ、また妊活に向かうとこからスタートです。

引き続き基礎体温を基にタイミング法に取り組むことにしました。

ちょうどこの頃からたまたまご縁のあった堀江薬局の漢方も飲むようになり、

私の妊活は段々と本気モードになっていきました。

「30歳までに第一子を!」という謎のスローガンを掲げて。

わかります~?なんだか必死な感じが。

今となっては、少しがんばり過ぎてて、自身で追い込んでる感が良くわかるけど

元々クソまじめで、一生懸命過ぎる(頼まれてないのに誰にも)ところがある私は

妊活にも全力投球し始めてしまったのです。

転勤したばかりだったので、求職活動もしていたら

結局妊娠よりも採用通知が先に来てくれるという出来事もありながら

その新たな職場で、数々の同僚の妊娠、出産を見送りながら

出産祝い貧乏になりながら(地方では職員間のお祝いの額が半端ないあるある^^;)

一年間自己タイミング法を続けました。

生理が来るたびに落ち込むし。また排卵検査薬買いに行くのめんどくさいし。高いし。

もちろんずっと、タイミング法での夫婦それぞれのストレスは継続。

そんな感じで小さなストレスが少しずつ少しずつ積み重なっていってます。

でも、まだなんとかなってる状態。少し余裕はありました。

気分転換やストレス発散もできていたように思います。

 

そんなこんなで~

最初の流産からちょうど1年後の春、2度目の妊娠に至りました。

今回は信頼できる医師に診てもらおうと思っていたので

以前から知っている先生のクリニックに。この先生は以前のブログに書いています。

最初の診察では、

「おめでとう!まだ胎嚢小さいから来週また来てみてね。」

と言われドキドキの1週間。でもやっと来てくれたんだ~帰ってきてくれたのかな~なんて思いながら

過ごしていたのを覚えています。

そして1週間後の2度目の診察で、

「………ん?……これ…かな?……まだ遠いな~。」

と先生。遠いとはどういうことだろ…。

「育ってないかも知れない。」

確かにエコーの画面には以前とあまり変わらない胎嚢らしきものが映ってました。

「ふわ~そういう事か~そうなのね~え~?そうなの~??」

っていう、私の心の声が伝わりますかね?

「もしかしたら難しいかもしれない。でももう1週間だけ様子をみましょう。」

と言われ、また生き地獄がスタートしました。

この時は、本当に生きた心地がしませんでした。

自分でもほぼほぼダメってわかってるけど、信じたくない気持ちと

もしかしたら奇跡が起きるかもという気持ち、色んな気持ちがグルグル。

だって~もうつらい想いしたよ~。またなの??また同じ目に合わないといけないの??

と、怖くて怖くて仕方なかったように思います。

 

結局、その後の診察でも成長は見られず、前回と同じ稽留流産となりました。

その時は主人も付き添っていて、帰りの車の中で二人で泣きました。

「現実を受け止められない」と言うのはこういう事なんだなって。

またかよ~!!ひどくない??神様なんかいないんだ…

どんどん黒い感情が出てきてしまって、本当に苦しかった。

それからは日々過ごすのがつらくて、朝が来るのが嫌でした。

また現実を知ることになるから。そして向き合わないといけないから。

どのように気持ちを整理したのか、日々をどのように過ごしていたのか

つらすぎて記憶から消しちゃってる感じだけど

とりあえず掻爬の手術はせず、自然に出血するのを待つことになっていました。

出血が始まり、通院と安静でしばらく仕事を休んで復帰したけど

ちょうど同じようなタイミングで妊娠していた同じ部署の子の

「つわりがしんどくて」とかお腹が大きくなっていく様子とか

聞くのも見るのも本当に本当につらくて、ここでも生き地獄が続きました。

 

妊活中、色々なことがあるけど、もちろん流産とか死産とか計り知れない気持ちを抱えるのと共に

些細なことや少しのストレスやモヤっとしたもの、ささくれみたいに小さな傷ができて

その痕が消えずに、古傷みたいに残ることが多かったように思います。

そんなことを実感しながら、気持ちの面を振り返りました。

 

さてさて、次回は不育症がわかる辺りのことを綴りますね。