妊活を振り返ってVol.2
引き続き私の妊活についてです。
前回のブログでは、自己タイミング法に取り組むまでを書きました。
その中でやっと知った排卵日検査薬(排卵前に出るホルモンに反応する検査キット)。
早速試してみました~。が、反応せず。もしくは反応が薄すぎてわからず。
数か月続けたけど、ほぼ毎回そんな感じで、私にとってはあまり有益ではありませんでした。
生理も来るし、のちに病院での検査でも排卵に問題なさそうとのことだったので
タイミングが悪いとか、ホルモンの数値が低すぎたとかだと思います。
個人差があるし、あくまで私の場合はですよ~。でも…
高かったのに(お値段が)!!怒
と、毎回憤慨していた気がします。
そんなこんなで、基礎体温のみを信じ、
夫婦それぞれのストレスを抱えながらも自己タイミング(らしきもの)を続けた結果
初めて妊娠しました。
が、このころ、ちょうど主人の転勤が決まり、
しかも、私も違うことで県外の病院での放射線検査を受けることになっていて。
なんかもうてんやわんや。
でもどちらも避けられないことだったので、とりあえず駆け抜けました。
しかし、その後の受診でうまく成長していないことがわかり、
もしかしたら流産の可能性もあるかもとのことで
しばらく様子を見ながらの引っ越し、産婦人科も実家近くの病院へ移ることになりました。
転勤も、夫婦での引っ越しも初めてで、準備期間も2週間しかなく
しかも妊娠中で、流産の出血が始まるかもしれない不安と闘いながら
我ながら良く頑張ったと思います。ふんっ!!
結局、引っ越すまでお腹の中で持ちこたえてくれて
その後、転院先の先生の判断で今回は諦めることになりました。
実はこの決断に至るまでが色々と苦しい期間で、少し重く、長くなるので
別の機会にまたアップしますね。自分で書くのにも少々パワーが要りました(・・;)
では、気を取り直して!
胎嚢(赤ちゃんの入っている袋)の成長があまり見られないまま、稽留流産ということで掻爬手術を受けました。
もちろん悲しい経験だったけど、何より手術自体がすごく痛くて。
もともと麻酔は効きにくい体質で、その後も採卵時の麻酔などで苦しむことになるのだけど。
とにかく体をねじりながらひたすら耐えたという記憶しか残ってません(涙)
そして総合病院の婦人科だったので、妊婦さんと一緒な病室で過ごすのはつらかったな~。
主人は転勤したばかりで勤務を休めなかったため、母がずっと付き添ってくれていたけど
心身共にダメージを受けている娘の姿を、一人で見守るのもつらかっただろうなと思います。
その後心配した主人が、仕事後に片道3時間かけて車で様子を見に来て、
1時間ほど休んでまたとんぼ返りしてくれるという心温まるお話が。←本人曰く『優しさライセンス1級』(-_-)
その頃から、少しづつ夫婦の妊活への気持ちがそろって行き出したのかな。
今回ダメだった子を、次は絶対にこの世に出してあげよう!会いたい!と。
そんな気持ちで、夫婦2人が同じくらいの熱量で妊活に取り組み出した頃までの様子でした。
もちろん、こんなきれいごと(私達にとってはですよぉ!)ばかりではなかった妊活。
まだまだこれからドロドロだけど、まぁ、こういうケースもあるのね的な感覚で
読んでいてくださいね~♡