TOMOKOの幸せtree

私の人生はたくさんの人の支えによって幸せを作ってもらっていると感じています。
その人生を「木」に例えると、家族や友人、言葉やエピソードなどが枝や葉となり
TOMOKOの「木」を育ててくれているのです。
妊活中も大きな支えとなった幸せTree。
このブログを通じて、そんな幸せTreeの大切な枝や葉の紹介もできたらと思い名付けました。

妊活を振り返ってVol.8

私の妊活を振り返っています。

不妊専門クリニックに通いだし、最初の体外受精は陰性に終わりました。

つらい気持ちをぬぐうかのように、2回目の体外受精に臨みます。

採卵できる数を増やすために、前回よりも刺激を強めてみようと別の方法で準備期間に入りました。

が、それでもやっぱり卵胞チェックではメモのいらないような数。

何とか採卵にこぎ着けるも結局3個…。う~ん…。

 

前回同様、移植する胚の質も、子宮内膜の状態も良かったのですが

やっぱり妊娠することはできませんでした。

そしてこれまた前回同様のショックと、支払いの時だけ正気に戻るパターン。

ほーんと、世の中そんなに甘くない。

 

1回目の体外受精から、ここまで約半年くらいだと思います。

なんかギュギュっと詰め込んだ半年間。そうゴールデンタイム真っ只中~

の、無情な結果。

どうやって乗り越えたのでしょうか…。忘却の彼方です。

 

でも、とにかく必死に頑張っていたと思います。

何とか妊娠したい。どうやったら妊娠できるかなって。ずっとそればっかり。

だから次の採卵に向けて、体の調子を整えながら、次こそは!!という気持ちでいたと思います。

その後、また違った方法で卵子をたくさん育てる周期を試すも、うまくいかなかったり、

せっかく育ったけど空っぽの卵胞だったりと、卵子が採れない時期が続きました。

その間、ほぼ毎日何らかの薬を飲んでいたし、自己注射に加えて、ホルモン補充のために

シールをお腹に貼ったり、膣錠を自分で入れたり、鼻に噴霧する薬もあったぞぉ。

クリニックで購入したサプリや、子宝専門漢方薬局の薬も合わせて、はぁ~お腹いっぱいでした。

それでも相変わらず卵子は思うように育たず、もう自然な周期で1つ育つ卵子を採って体外受精しようと先生。

私の場合は卵巣刺激すること自体が有効ではなかったようです。

結局、約1年間くらいは卵子が採れない状態が続き、自然周期へと必然的に移行していきました。

 

思うようにいかない治療、薬の副作用で体調は優れないし、気持ちもどんどん沈んでいって

診察中に涙がこぼれたり、先生に「もう若くないから…」とか言ってしまったり。

それを聞いていた看護師さんが、顔を横にブンブンふって「そんなことないよ」って言ってくれたけど。

出口の見えないトンネルの中にいる感じだったかな。

 

私がそのクリニックに通っている期間だけでも、治療の技術は日々進歩していて、

先生は私にきちんと説明した上で、色々な方法にチャレンジしてくださいました。

でもでも、やっぱり妊娠には至らなくて…。

自分でも、なぁ~んとなく「行き詰ってきたかな」って思っていました。

 

そんな時に看護師さんから

「同じ時間かけて通院するなら、関西の方の病院に行ってみる選択肢もあるよ。」

と声をかけてもらいました。

転勤で鳥取県に移っていた私は、実家近くのクリニックに2時間かけて通っていました。

まさかそんな提案を看護師さんからされるとは思ってもみなくて、ビックリしたし

最初は少し戸惑いもあったけど、確かに2時間あれば神戸とか行けるじゃん普通に。

しかも関西圏には不妊治療専門病院いっぱいあるし~選びたい放題じゃないの~!!

と、結構すぐに前向きにとらえたように思います。

もちろん看護師さんも色々な病院やクリニックの情報をたくさんくれて

その中から夫と相談して選んだ病院に転院することを決めました。

 

環境が変わって、もしかしたら良い結果が出るかもしれない

そんな少しだけ明るい気持ちで新たな出発を迎えたように思います。

転院の際には、先生にも看護師さんにもしっかりと応援の言葉をいただいて

感謝の気持ちと同時に、次もがんばろ~みんながついてる!と勝手に思い込み(笑)

さて、気持ちを新たに!ドッキドキの初診に向けて、準備が始まります~。