TOMOKOの幸せtree

私の人生はたくさんの人の支えによって幸せを作ってもらっていると感じています。
その人生を「木」に例えると、家族や友人、言葉やエピソードなどが枝や葉となり
TOMOKOの「木」を育ててくれているのです。
妊活中も大きな支えとなった幸せTree。
このブログを通じて、そんな幸せTreeの大切な枝や葉の紹介もできたらと思い名付けました。

妊活を振り返ってVol.5

私の妊活を振り返えるシリーズ第5弾

今回から不妊治療に本格的に取り組む時期のことです。

 

不育症であることがわかり、でも対処法はある、まずは妊娠を!

ということで、不妊治療専門クリニックに通うことにしました。

ちょうど地元に新しいクリニックができたばかりで、

医師や培養士の方の評判がとても良く(その医師のことを悪く言う人は聞いたことがない!との噂)

通いやすい立地だったこともあり、受診を決めました。

 

私はそれまで「不妊治療」というものにあまり興味がなく…というか良く知らず…

当時は今ほど不妊治療も注目されておらず、周囲からもそんな情報が入ってくることもなく。

それでもどこか、年齢的な焦りや、とりあえず早く妊娠したい気持ちがあって

そこまで抵抗なく病院へ行くことを決めたような気がします。

夫も、職場でも同僚や上司と不妊治療の話が出るような環境だったらしく

抵抗はなかったようだし、自身が検査を受けることも別に平気~という感じで

治療に関しては二人とも、あんまり深く考えず軽い気持ちでスタートしたのでした。

 

いよいよ初診の日、相変わらずドキドキの待ち時間を経て、診察へ。

先生は評判通りの優しく物腰柔らかな方でした。

持参した分厚い紹介状と、新たな検査結果などから

子宮内膜症の検査を一度きちんとした方が良いとの判断で

まずは腹腔鏡のできる環境の整った病院への検査入院が決まりました。

この病院は、以前に流産の掻把手術を受けた病院。

色々想いはあったけど、希望を持って、新たな気持ちで!と思い入院準備を始めました。

先生曰く、「子宮の様子を知るには、中を見るのが一番だから」とのことで

お腹に3か所穴を開けて、そこから腹腔鏡での検査、処置をしてもらいました。

私の場合は、子宮内膜に似た組織が子宮外の部分にも点在している状態(ブルーベリースポット)で

チョコレート嚢胞などのひどい状態ではなかったらしく、内部をきれいにする処置だけで終了。

まずは良かった~と安堵でした。

しかもしかも、この処置の後は、着床率が上がるゴールデンタイムと言われているとか!!

先生もそう言ってたし~!!これは期待が膨らんでしまいますよね~と、

今後の妊活に向けて意気込んでいました。

そうそう、その先生は検査後の様子を見に、自身のクリニック診療終了後、私の入院する病院まで来てくださいました。

「ちょうど用事あったからついでに~」と言われてたけど、やっぱりそういったことが

信頼関係の構築に繋がると思うし、何より嬉しかったし、有難かったです。

 

しかし、これはあくまで私の場合だけど、

腹腔鏡検査後の、腹部の痛みが物凄くて…傷口ではなくて腹筋というか内部の痛みが。

ベットから起き上がれない(腹筋使えないから)→歩けない(足持ち上がらない)→トイレ行けない

→でも必死でトイレたどり着く→排尿痛で悲鳴→ナースコール(看護師さんごめんなさい涙)

→座薬入れてもらう(看護師さんは高校の同級生涙)←地元あるある(同じ病院の別室には実家のじいちゃん入院中、検査時麻酔したのは父の元職場関係の方、そしてこの病院は妹の元職場etc…the地元!!)

と、散々でした。退院する頃にもまだ痛みは引かず、超低速で像みたいにノソノソ歩いて病院を出た記憶があります。

こんなに腹腔鏡ってしんどいの??って検査結果どうこうより、そればかりが思い出されます。

これも個人差があるようで、後日、同じように腹腔鏡下の手術を受けた父は、翌日には普通に歩行。

私は物凄い衝撃を受けました。切ったり貼ったりした父が、検査だけの私よりも…何だかなぁと。

もちろん、そもそも二人とも全く違う病気、単純に比べるのはおかしいのですけどね。

 

そんなこんなの検査入院を終え、いよいよ不妊治療!

ゴールデンタイム!!早く!!始めよう!!

体調が落ち着いてから、とりあえず人工授精からしてみることにしました。

私も夫も、人工授精にトライすることを希望していて、先生からも同じ提案で

スムーズにスタートしたという感じでした。

やはり治療を開始することに抵抗はなかったです。

手段よりも、このゴールデンタイムを有効に使うのが最優先!!そんな気持ちが強かったのかな。

ほぼ、期待のみで突き進んだ感じの初人工授精でした~。

 

結果は残念ながら陰性。

まぁ、まだ一回目。そんなこともあるよね~、と言い聞かせ。

まだゴールデンタイムは終わってないし~!

がんばれあたし!負けるなあたし!

と、2回目へと進むのでした。

費用も、その後の体外受精などに比べたら低額でした。

私の住む地方では、その当時は人工授精に関しての助成制度も整っていなかったけど

そこまでビックリする金額ではなかったように感じます。(あくまで個人の意見ですよ。)

のちに治療の段階が進むにつれて、諭吉が…諭吉が…飛んでいきます~ヒラヒラと~。

 

こうして書きながら、やはり思うのは辛さやしんどさ、痛い記憶は鮮明に残ってるなと思います。

そして希望が持てていたり、気持ちに余裕があった時のことは軽く書き流せると感じます。

心の傷とか負担とかってそういうことなのね。

読んでいても、しんどくなったり、辛くなったりする方のおられるかもしれませんが

そんな時はどうかすっ飛ばして、違うトピックを気長に待ってやってくださいね~。

 

次回から、少しずつ不穏な時期に差し掛かります。もう少しお付き合いを~<m(__)m>