不妊治療を振り返ってVol13
引き続き私の妊活を振り返りますね。
半年間の治療おやすみを経て、また大阪のクリニックでの治療を再開しました。
以前と同様に方針を決め、採卵と移植は大阪で、それまでの経過観察は地元の協力医で、
というやり方を続けました。
その時は運よく数個採卵することができ、一つだけ順調にいった受精卵の移植をしたものの
妊娠には至りませんでした。
その結果は夫と二人で聞きに行ったのだけど、診察室から出て二人で無言…。
なんとも言いようのない時間が流れていたように思います。
きっといろんな感情をどう処理して良いのか、お互いわからないまま
とりあえず気を取り直して食事に行こう!と夜の街をさまよったのだけは良く覚えています。
考えたくなかったんだよね、先のことを…。
その後、少し時間を置き、気持ちの整理をして、冷静に考えられるようになってから
今後の治療について夫と話し合い、大阪のクリニックに凍結保存してある受精卵を移植して
もしそれがうまくいかなかったら、地元での治療に戻そうということを決めました。
最先端のクリニックで、高度な技術を駆使し、今できる最善の手を尽くして結果に結びつかないということは
「きっともうどこでやってもあまり変わりがない」
やり切ったよね~というのが二人の正直な気持ちだったのだと思います。
それなら、無理して長距離の移動や費用をかけてやらなくても良いよね…
と、気持ち的には少しペースダウンした感じでした。
結局その凍結胚の移植でも妊娠することはできず、転院用の紹介状を書いてもらい
大阪のクリニック通いは終了したのでした。
私の中では、もうその辺りで力尽きたというか、燃え尽きた感覚だったのだけど、
夫は、治療をやめることは選択肢に無く…
その後はなかなか平行線のまま、時間ばかり過ぎていく感じの期間でした。
このままフェードアウトしたいというのが私の本音だったけど、そう簡単には夫は納得しないわけで。
このあたりも本当にしんどい時期だったように思います。
最初は私の方が強く子どもを望んでいたのに、最後は夫の方が強く望み
むしろ私が妊活を拒否するようになるなんて。皮肉なものでございますよ~。
私の中でも、「今やめたら後悔するんじゃないか」という気持ちが最後まであって
スッパーンと治療やめる宣言が出せずにいたんだけど、
でもやっぱり、もうどうしても、どう考え直しても
「無理だ…これ以上続けられない…むーりーだー!!」って
とうとう本心に気付いちゃったような感じでした。
季節外れのインフルエンザ以来、ガッツリやつれた見た目だったこともあって
家族や友達からは私の体を心配されていたし、母からは万が一妊娠したとしても
とても出産に耐えられる体ではないでしょう?と言われていました。
妊活よりもまずはTOMOKOの命を大事にしないと!ということで
不妊治療の終了を誰もが願うような状況になっていたのですが…
肝心な夫との意見の相違が…。最後まで、最後まで苦しかったぁ。
でも結局は、私の両親、夫の両親も含めて旦那を説得する形で、
と言うより、私の意見を押し通す形で治療の終了を決めたのでした。
私が今でも、夫の「子どもを持ちたいという希望を奪ったのは私だ」という想いがあるのは、
こういう経緯があるからなのです~。罪悪感でしかない。
確かに私は体を張って不妊治療に取り組み、死んじゃうかも⁈くらいの体になったけど
違う形で不妊治療は続けられたかもしれないわけで。それを完全にやめた!!と言い放った私は
やっぱり罪の意識を感じずにはいられないのでございます~。
この選択が、良かったのか悪かったのか、正解は未だにわからないし
この先ずっと答えなんて見つからないかもしれないけど、
まぁ、そこはこれからの人生の中で埋まっていく部分もあったり、
いつかは夫も色々なことを、本当に本当に色々なことを理解してくれると
願い、祈り続けるところでもあります。
ちょっと最後の方は、自分でもまだ整理できていない部分や、どうしても言葉を選んでしまうところがあったのだけど
様々なことが簡単には言い表せないのも不妊治療のつらさだと、なんとがご理解いただければ幸いです。
何となく嫌な気持ちや、しんどい想いを抱かせてしまっていたらごめんなさい。
ひとまず治療終了の決心までお伝えさせていただきました~。