浦島太郎になった訳
今年もあと2カ月で終わりますね~。
まだなんだか夏のような気温の日もあるけど💦
冷え性の私の体的にはしっかり冬の感覚があって、
冷えてる…体調もすっきりしない…という毎日ですが、
みなさん元気に冬を乗り切りましょうね♡
以前のブログで小学校での支援員の仕事について書きましたが
今回はそもそもなぜその仕事を選んだのかお話してみますね。
と言うと、何かたいそうな理由があるように思われるかもしれないけど
そうでもないです(笑)
でもでも、私的にはなかなかの気持ちの変化だなと感じたので 😀
昨年岡山の県北から引っ越し、晴れて岡山市民になりました。
憧れの山陽での生活☆せっかくなら岡山市に貢献できることがしたい
さらに週末はカウンセラーの活動ができるという条件で
行政のHPなどで求人を見るうちに見つけたのがこの仕事でした。
結婚前には子ども英会話スクールで講師をしたことはあったけど
自分が不妊治療をするようになってからは特に子どもと触れ合うような仕事を
自ら選ぶことはありませんでした。
でも、不妊治療をやめて5年近く経ち、ピアカウンセラーとしての活動をする中で
少しずつ「子ども」に対しての意識が変化してきました。
治療中は特にだけど
「子ども」と言えば「自分の子ども」
もっと言えば「自分が産み、育てるはずだった子ども」
それが、そういう事に囚われないようになったというか
社会に存在する広い意味での「子ども」
要は「これからの社会を担っていく、未来のある子ども達」
という認識になってきて、その子どもの成長を支えることを通じて
私も社会に貢献できるのではないかなと感じるようになったのです。
そうなってくると、すごく気持ちが楽になって
素直に子ども達が愛おしくて可愛くてしかたないのです~。
支援員という立場なので、子どもが”支援”を必要とする場面は多くあり
少し元気が良すぎたり、ちょっとだけ危なかったり、結構困ったり(笑)
それでも必死にがんばっている子ども達の姿を目の当たりにすると
はぁ~~~!!愛おしい~~~!!
と思う毎日なのです。
まぁ、歳を取った…いや、失礼っ!年齢を重ねたということも要因の一つだと思うけど
やっぱり不妊の経験やつらい気持ちに蓋をせず、自分なりに向き合ったり、やり過ごしたりする中で
落としどころを見つけたんだろうなとも思います。
そんなこんなで、毎日悪戦苦闘しながら、役に立ってるのかは良くわからなくても
”いないよりはマシ”な支援員を目指してがんばっています 😆
(色々あって)小学校の先生なんて死んでも嫌!!と思いながらも
教員免許取得が卒業条件だった学部に入り、死んだような目で教育実習に通い
卒業後も、講師の職など全力拒否していた私が…。信じられな~い!!
夫、両親、家族みんなもビックリしてます(笑)
が、しつこいようだけど、今こういう環境にいられることも
周囲の理解と支えがあってのことで、TOMOKOの幸せtreeのおかげなのですよ~
だから、その感謝の気持ちを、未来ある子ども達への支援と言う形で
恩送り、ペイ・フォワードしていけたらなと思います☆
ちなみに、かなり背が高い私。小学1年生から見たら…見上げる存在で
「先生…長い…」
と呟き、担任の先生に注意されてました~ ごめんね、怒られて涙
でも、その表現、間違ってない!!爆笑
途中すごくわかりにくい表現もあったと思うし、伝えきれない部分もあって
もどかしい気持ちもたくさんですが、私の正直な気持ちを精一杯書かせてもらいました ♡